死ぬまでは幸せかどうかなど分からない
モンテーニュのエセーを読むと、人生の最後の瞬間までわがまま放題で好き放題生きた王侯が、人生の最後で革命をかまされて無惨に死ぬ、とか、人は唐突に理不尽に死ぬ。例えば馬に乗ってて落馬して死ぬ。人は死に対して自分は死なないと思ってるが、わりと心の準備もなく簡単に死ぬ。などこれでもかというように生きることに対して安心などできない、懐疑的、悲観的な眼差しを崩さない。
最近、日本の代表的な経営者がつまづいた途端、今まで蓋をされてきたと思われる様々な醜聞が一気にマスコミを介して明らかになってきた。
その記事を読むに、飲み屋での振る舞い、会社での振る舞い、お金の使い方、配偶者、恋人との関係といった、一つ一つは「法を犯したものはない」のだが、相手からすると「なるべくお付き合いはしたくない」類いのものばかりであり、ある意味人生におけるリスクをどんどんと積み上げて来たようにも思える。いわゆるジワジワとブラックスワンの大惨事にむけ、リスクがジワジワと高まり、そして破裂したようにも感じられる。
こちらの経営者とは真逆の生き方として、イエローハットの創業者の鍵山さんを思い出す。当たり前のことをしっかりやりきろう、他人に迷惑をかけない気づける人になろう。相手にとって不愉快なこと、嫌がることは一つたりともしないでいこう。それをやりきり、世の中に広めようという生き方は、昨年亡くなられてはいるものの、広く世に生き様として残り続けている。イエローハットも業績好調である。
世の中の偶然性、リスクへのエクスポージャーなどに思いを馳せるに、試行の基本的態度が人生というサイコロを振っていくにあたり、その行為の行き着く先は「毎日紙一枚の積み上げ」だとしても、それこそ人生の終盤においては大きな違いになるかも知れないと感じている。
あの子は貴族
都内東京に住んでしばらくすると、この作品で描かれるような事例は割と散見されるように思う。
都内在住、実家住まいで私立中高育ち、潤沢な文化資本を持つこの階層は基本的にはその後も似たような階層の人間と付き合い、結婚し子供はまた似たような生活を望む印象である。
私が地方から上京してみて、この層の方々とお付き合いするようになって思うのは、いろいろやっかみ含めて揶揄されることは多いかもしれないが、彼らまたは彼女たちは、基本的に大変に気が良く優しい。だって、ずっと大事に育てらていて自己肯定感高いし、そんな人は周りにも優しくなれる。そんな気がする。
私も結局、自分の子供にはそのような暮らしをさせたいと考えて都内で過ごしている。
経営企画におけるモデリングスキル
JTCの経営企画にいると、M&Aの検討は割と日常的にあるのだが、その中で本気で検討をするとなるとまずはFAと相談する前に自分で簡単なモデリングをして投資対効果を評価することになる。
ここで困るのが、そもそもJTCでは三表連動のモデリングスキルがある人材がほとんどいないことである。総合商社や金融機関では割とコモデティなスキルなはずだろうか、こと一般的なJTCでは、経営企画にいても会計について全く知らなくても平気な人がザラにいるような環境であり、基本こういうスキルは「FAにやってもらうもの」という感が強いように思う。ただ、役員から矢継ぎ早に聞かれる各種条件をエクセルを弄りながら「この前提だと〇〇億までならペイします」ということを迅速にスラスラ言えるためには結局自分でモデルを組み、数字をいじって勘を磨くしかないように思う。
こういうスキルは暇なジュニアスタッフにモデリング研修にカンズメにして覚えさしておいて、いざという時に手を動かせる、または動かせそうな人材ストックを作っておくべきであろうと思っている。(実際、今後はそういう構えにしたいと考えている)
MVV
ミッション、ビジョン、バリューというフレームワークは会社の基本的な価値観を表す際によく使用される。
ピラミッド形で上から順にミッション、ビジョン、バリューと配置される。
きっちりと基本を押さえた構造を取っている。
https://www.kao.com/jp/corporate/about/policies/kaoway/
MVVはドラッカーが提唱した概念と言われている。
https://dentsu-ho.com/articles/7550
となるとこの概念は西洋のマネジメントに関する学問領域の世界観を前提として論じられているはずと仮定する。
最初のミッションを、使命、と翻訳した場合、使命というのは何なんだろうか。日本に住んでいて、使命、という言葉は正直に言って馴染みが薄いと感じる。
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/第33回-ミッション
にあるように語源としては
''ミッションの語源はラテン語で「送る」などを意味する mittere です。その昔、キリスト教の礼拝の終わりに、司教が「Ite, missa est.(行きなさい、解散する)」と告げる習慣があったことから(missa est は受動完了形)、この表現が「神の言葉を送り届けよ」と解釈されるようになりました。ゆえにmission は「伝道」の意味を表すようになったのです。その後 mission は、広く一般に「任務や使命」の意味でも用いられる''
ようになった。とのことである。語源と概念の出所から西欧のキリスト教的な神からの使命が最初にあるということを状況証拠的に是とした場合、ビジネスの職業的な領域で神の使命を当てはめるフレームワークといえば、あれである。マックスウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」の考えである。
プロテスタントの召命の考えと現代職業の倫理や使命に関する議論としては以下が議論されている
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000004845/3-1871.pdf
https://www.techpedia.jp/peter-drucker/
とすると、状況証拠的にはドラッカーのいう「ミッション」はキリスト教的な文脈でいう天職としての神の使命、という文脈で捉えるのが適当だと考える。
根拠は根拠によって根拠づけられるとはルーマンが言っていたが、無限に原因を遡ることをやめようとすると、神の使命、が一旦は論拠の源流と置いておこうということとする。
会社の存立の究極の論拠は、神からの使命、世に現すべき、神の意志の実現が会社の目的、という意味と解する。
であれば、神の使命たる仕事とは、だれがどこでいつどうやってなされるのがそう言えるのに相応しいのだろうか。天職としての使命なのだから、選ばれたものであるべきとすれば、それは安易に他人ができないその会社にしかできない何かであるべきだろう。圧倒的な品質、価格、満足度、すなわちその提供するものは他の人が提供するものよりも優れてあるべき、つまり競争力があるべきと解する。
こうなってくるとミッションとは優れて自分たちにしかできない社会に欠くべからざるなにかを提供すること、といえそうである。その使命を受けた集合が全体として神の意思を実現した世界、ということになるのだろう。
そうなると、ミッションで定めるべき内容は他人にできることではない、当社ではないとダメなこと、競争力のあるものであるのだと解することができる。
たとえば、トヨタのミッションが、「世界中の情報を整理する」とか言い出したら、いや、違うだろ、もっとトヨタならそのケイパビリティを活かして世の中に貢献出来るだろう、となるように思う。たしか、トヨタは「mobile for all」だったように思うが、全ての人に移動の手段を、というのは非常にしっくりくる、使命に忠実だなと思うわけである。
おそらく会社のミッションとは、世の中の期待に違わないその会社のなすべき社会での役割を示すべきなのだろうと思う。
コンサルタント キャリアについて
景気がよい昨今、弊社の同僚たちも引く手あまたなようで、転職話がちらほら聞こえている。リーマン以降こんなに景気良いのは10年ぶりだし、いつリセッションが来るかわからないということから、比較的次のキャリアを意識している人がちらほら。特にリーマン前から働いている人は、リセッション起きたら何が起きるか知ってるだけに、、そこはかとない恐怖とそれに対する心づもりがあるように思う。
かく言う私もリセッションが来る前にスキルを身につけて切られない人材にならないと、と、焦って働いてます。
まーリーマンもう一回来たら数年は暗黒時代ですわな。貯金もっとしよとか思う。