MVV
ミッション、ビジョン、バリューというフレームワークは会社の基本的な価値観を表す際によく使用される。
ピラミッド形で上から順にミッション、ビジョン、バリューと配置される。
きっちりと基本を押さえた構造を取っている。
https://www.kao.com/jp/corporate/about/policies/kaoway/
MVVはドラッカーが提唱した概念と言われている。
https://dentsu-ho.com/articles/7550
となるとこの概念は西洋のマネジメントに関する学問領域の世界観を前提として論じられているはずと仮定する。
最初のミッションを、使命、と翻訳した場合、使命というのは何なんだろうか。日本に住んでいて、使命、という言葉は正直に言って馴染みが薄いと感じる。
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/第33回-ミッション
にあるように語源としては
''ミッションの語源はラテン語で「送る」などを意味する mittere です。その昔、キリスト教の礼拝の終わりに、司教が「Ite, missa est.(行きなさい、解散する)」と告げる習慣があったことから(missa est は受動完了形)、この表現が「神の言葉を送り届けよ」と解釈されるようになりました。ゆえにmission は「伝道」の意味を表すようになったのです。その後 mission は、広く一般に「任務や使命」の意味でも用いられる''
ようになった。とのことである。語源と概念の出所から西欧のキリスト教的な神からの使命が最初にあるということを状況証拠的に是とした場合、ビジネスの職業的な領域で神の使命を当てはめるフレームワークといえば、あれである。マックスウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」の考えである。
プロテスタントの召命の考えと現代職業の倫理や使命に関する議論としては以下が議論されている
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000004845/3-1871.pdf
https://www.techpedia.jp/peter-drucker/
とすると、状況証拠的にはドラッカーのいう「ミッション」はキリスト教的な文脈でいう天職としての神の使命、という文脈で捉えるのが適当だと考える。
根拠は根拠によって根拠づけられるとはルーマンが言っていたが、無限に原因を遡ることをやめようとすると、神の使命、が一旦は論拠の源流と置いておこうということとする。
会社の存立の究極の論拠は、神からの使命、世に現すべき、神の意志の実現が会社の目的、という意味と解する。
であれば、神の使命たる仕事とは、だれがどこでいつどうやってなされるのがそう言えるのに相応しいのだろうか。天職としての使命なのだから、選ばれたものであるべきとすれば、それは安易に他人ができないその会社にしかできない何かであるべきだろう。圧倒的な品質、価格、満足度、すなわちその提供するものは他の人が提供するものよりも優れてあるべき、つまり競争力があるべきと解する。
こうなってくるとミッションとは優れて自分たちにしかできない社会に欠くべからざるなにかを提供すること、といえそうである。その使命を受けた集合が全体として神の意思を実現した世界、ということになるのだろう。
そうなると、ミッションで定めるべき内容は他人にできることではない、当社ではないとダメなこと、競争力のあるものであるのだと解することができる。
たとえば、トヨタのミッションが、「世界中の情報を整理する」とか言い出したら、いや、違うだろ、もっとトヨタならそのケイパビリティを活かして世の中に貢献出来るだろう、となるように思う。たしか、トヨタは「mobile for all」だったように思うが、全ての人に移動の手段を、というのは非常にしっくりくる、使命に忠実だなと思うわけである。
おそらく会社のミッションとは、世の中の期待に違わないその会社のなすべき社会での役割を示すべきなのだろうと思う。